第56回
冷静に!一人で解決なんか出来ません
先週の日曜日にある住宅サミットが行われました。
いくつかのパネルディスカッションが行われ、
私も「福祉から見た健康住宅」にパネラーとして参加しました。
1時間半という限られた時間で6名のパネラーが発表するのですが、
一人あたりの持ち時間が1回3分〜5分ということで、
なかなか深い部分の話が出来ずに苦労しました。
困ったのは多くのパネラーが自らの体験話を持ち出すことです。
自分の親が介護状態になって大変だったことから、
「福祉」は、「健康住宅」はこうでなければならない。
実体験に基づいた話というのは貴重です。
しかし、パネルディスカッションとしてはどうでしょう?
話があまりに個人的になりすぎて、ディスカッションにならない。
また、どうしても精神論的な展開になってしまい、
解決の糸口が見えてこなくなるのです。
私はかなりクールに現状をお話しますが、
「親に孝行するのは当たり前」的な福祉論者の前には
「福祉」と「経済」の関係の話は非人道的に映ってしまいます。
福祉の先進国である北欧の国々は第2次世界大戦後、戦後処理に苦労しました。
男は戦争で死んだり、傷つき、労働力は大幅に下がりましたが、
国は遺族年金や保険の出費で財政を圧迫したのです。
自分の親を面倒見るのは親孝行で、そのためのお金は国の支出ですが、
他の親の面倒を見るのは仕事で、仕事をすれば国に税収があります。
こうして、女性を福祉の仕事につかせることで、経済を動かし、
社会復興と福祉の両立をなしえたことが先進国であるという所以なのです。
しかし、多くの日本人は経済を無視し、
福祉施策が進んでいることだけを学びました。
だから、今まで日本の福祉は措置制度でやってきたのです。
景気が低迷し、また、少子高齢化で、ようやく日本は当時の北欧を理解した。
これが介護保険導入の意味であることを理解しなければなりません。
現在の社会情勢をしっかり認識しないで、やみくもに精神論で「福祉」を語る。
自分の親の面倒を見るのは子供の勤めだから、
住宅もどんな場合でも対応できるような「健康(?)住宅」にしなければならない。
どうも議論が極端です。
どこかの展示場みたいな介護設備だらけの家をつくることが健康とは思えません。
家には家族が住むのです。病院ではありません。
なんでも一分野で解決しようと思わないで、
住宅で解決できないところはディサービスを使う。
家族で解決できなければヘルパーを使う。
だからといって施設に頼ってもらっては国のお金が足りなくなる。
この辺を冷静に論じ合ってこそ、
皆さんが目指す「健康住宅」が見えてくるでしょう。
これからの高齢社会のどの部分を負担するべきかを模索していくべきです。
これからの社会は、特定の分野ではなく、
社会全体で「福祉」を支えていかなければならない。
まず最初にこの議論をしないと話が始まりません。
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