第312回
器用に生きる?
わたしはどちらかというと不器用で、何事に対しても直球勝負です。
良いと思えば、ずんずん突き進んでしまいます。
ネットワークの中でも、こういう私の態度で周りを振り回すことが多いのかもしれません。
もっと根回しをしろと助言されますが、どうも私には出来ません。
もっと大人になれといわれますが、根回しが大人の生き方とも思えません。
たしかに根回しがきちんと出来ていたほうがスマートなのかもしれません。
でも、真っ向からぶつかって、自分の意見を述べるほうが、その結果を問わず好きです。
介護保険の解釈をめぐって、各市町村や県に向かってストレートにぶつかっていきました。
窓口での対応がうまく行かなければ、とことん粘りました。
組織を通じて、上の役と繋がることも出来ましたが、実際の業務をこなしているのは窓口です。
器用に裏から攻めるほうが効果的かもしれませんが、
私はきちんと最前線の人間と解決を図っていきたいし、
上司と話をするのは私ではなく、その最前線の人間のはずですから。
以前、すりつけ板の解釈をめぐって市役所とは大いに議論しました。
別に認めなければ自腹で払っても大勢に影響の無い金額ですが、
お金の問題ではなく、介護保険の精神の問題でした。
市役所の言い分もきちんと議論することで私自身理解できましたし、
たったこれだけのことで県も巻き込み、1週間かけました。
その間、市役所も部内会議を3回も行ってくれました。
このケースを通すだけの根回しをしたら、たぶん30分で終わったのかもしれません。
ところが私は1週間という時間をかけてしまいました。
仕事は停滞するし、私を評価したら能力が無い、要領が悪いということになるのかもしれません。
しかし、私の姿勢は窓口やその上司に伝わりましたし、
その後のお互いの人間関係はとても厚いものになったと思います。
県も今では、私を市町村へ講師推薦してくれるようになりました。
器用に生きる人は「仕事の出来るやつ」として評価されるのかもしれません。
でも器用に生きる人と不器用なやつってほとんど同じくらい人の脳裏に残るものです。
だったら不器用でも良いじゃないですか。
不器用なことが悪いのではなく、問題解決をしようとする姿勢が見られないことが悪いのです。
失敗したらそこで学習をしたら良い。
不器用でも一生懸命立ち向かう人のほうが好きです。
ストレートに行動するといろいろなことが自分にぶつかってきます。
それをきちんと受け止めたほうが人間としては大きくなれるんじゃないだろうか?
うまくかわして立ち振る舞う人間に、人の痛みなんかわかりはしない。
そこそこ出世はするけど、結局トップにはなれません。
今、何故多くの企業がトップを外部から引っぱってくるのか意味が分かりますか?
組織の中でうまく立ち振る舞う人間は有能な歯車のひとつにはなりますが、
痛みを知らない人間は指導者にはなれないからです。
人のやれることなんて生涯を通したら大差はありませんよ。
だったら、ひとつひとつを納得しながらやりたいし、
喧嘩だって、討論だってきちんとやりたいと思います。
感情を殺して、クールに生きるなんてちっともかっこ良いとは思えません。
どうせ自分の人生なら、泣いて笑って納得して終えたいでしょ。
私は器用に生きるより、不器用な人生を選択しました。
「百戦百敗」それでも夢は忘れません。
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