第297回
空白の恐怖
人は記憶の継続の中で生きています。
だから、それが途切れてしまうことに大変恐怖を感じるのだそうです。
痴呆の人の作話はまさにその代表とも言えるでしょう。
記憶の一部または全部が欠落してしまう。
過去は覚えているし、今も理解できるけど、その途中が見えてこない。
今、自分がここにいるのはどうしてかがわからないのです。
それは大変な恐怖です。
そこで、なんとか思い出そうともがきます。
もがいても欠落しているからどうしても記憶をつなげることが出来ません。
この恐怖から逃れる作業、それが作話なのだそうです。
作話をまわりはまたうそをついているとか安易に言ってしまいますが、
作話は本人にとって、自分が今ここに生きている意味を見つけるための苦悩です。
作話しないと、その空白の恐怖から逃れることが出来ないのです。
多分,恋愛でも同じようなことがあります。
今までずっといっしょだった人が、ある日微妙に離れていってしまう。
遠距離だと良くある話ですが、
突然、相手を見失ってしまいます。
どうしてしまったのだろう?
なにか自分に問題があったのだろうか?
見失ってしまった自分は自問します。
でも、大抵は相手に違うパートナーが出来ている。
そこでお互いの気持ちのずれが大きく離れてしまい、修復不可能になるパターン。
もしかしたら、また自分に戻ってくるパターン
様々でしょう。
戻ってきてくれたらハッピーエンドのように思えますが、
現実はそんなに簡単ではありません。
今までいっしょに居た相手が、ある時期見えなくなっていて、また自分に帰ってきてくれる。
もう過ぎた過去のことなんだから、そんなことは忘れてこれからのことを考えよう。
それはポジティブな発想ですが、
苦悩の数ヶ月はそんなに簡単に消えてはくれないでしょう。
自分から離れて何をやっていたのか?
その時どんなことを考えていたのか?
どうしてまた戻ってきてくれたのか?
今何を考えているのか?
空白の数ヶ月が見えてこない。
これからの二人のことを考えていかなければならないと思うけど、
途切れた記憶が恐怖で、今の関係はどういうことなのか、勝手に考え込んでしまいます。
ちょっとした相手から発せられる言葉の一葉にいろいろと考えを巡らしてしまう。
いちいち過去をほじくっているわけではなくても、
そんなことは何の発展も無いと判っていても、
記憶を繋げるために、どうしてもやってしまう。
自分自身の気持ちの安定は、やはり記憶の継続です。
過去をほじくり返すという行為は自分自身も決して好んでやるわけではないけれど、
今、そしてこれからを考えるためにも記憶の継続が重要なのです。
記憶が繋がらないうちはいつまでも作話してしまいます。
人は記憶の継続の中にしか生きられないのですから。
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