第282回
顔文字は必要かもしれない φ(. . )
コミュニケーションの重要性は十分理解しているつもりだが、
距離が離れたりしていて、お互いの環境がみえなかったりしたときに、
メールやチャットによる意志の疎通の難しさは痛感しました。
言葉で説明しようと思うと、
それだけでなにか相手を説き伏せているように感じられてしまい、
むしろ逆効果になることも多々あります。
直接相手の顔を見て、その表情の変化を読み取ることが出来るのならまだ良いのですが、
情報が文字だけに限られる場合、
なにか自分の気持ちの伝達方法を考える必要があるのかもしれません。
学生たちのメールやり取りを見ているとうまくその辺を工夫しています。
文字情報だけでは冷たいので、記号や顔文字といったテクニックを駆使するのです。
最初はそういうメールを見て、何くだらないことやっているのだかと思っていました。
しかし、よく考えてみると、短い文章の中にうまく感情を入れているのがわかります。
同じ文章でも、それが楽しいのか、困惑しているのか、冗談なのかを伝えるには、
やはり補足説明が必要になります。
文章でやっちゃうととてもくどいものになります。
それが顔文字を挿入すると、とてもシンプルに感情表現できるのです。
私はもともと文系(建築士のくせに)なので、
文字文化には思い入れがあります。
文章で伝えられないことは無いという信念があります。
きちんと伝えたいときはやはり文章で伝えなければなりません。
今回私が感じたのは、コミュニケーションにもTPOがあるのかなっていうこと。
普段の会話のように使うメールやチャットでは文字情報だけでは限界があります。
普段の会話では相手の顔色をうかがったり、相手の環境を理解して行えます。
しかし、メールやチャットではそういうことは出来ません。
特に遠く離れてたり、環境の変化があったとき、
いつもと同じようにメールで語りかけても、チャットで話をしても
その受け取られ方は微妙に違ってきます。
そういうわずかなズレが次第に溝を作ります。
相手の環境の変化は、離れているものにはなかなか理解することは出来ません。
やがて溝が深くなり、修復が困難になるのかもしれません。
相手を理解しようともがけばもがくほど、逆効果になってしまう。
それはお互いに不幸なことです。
私のメール打ち込みの速さはその辺の女子高生には負けません。
そして今、顔文字の有効性を理解した私のメールは
いよいよ女子高生化していくことになるかもしれません。
ネットワークでは役員会の代わりにメーリングリストを活用していますが、
くどいといわれる会長のメールも
これから顔文字がふんだんに登場するかもしれないので
気がおかしくなったと思わないで、よろしくお願いします。
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