第280回
逢いに行かなきゃ
WHOが提唱した国際生活機能分類(ICF)では障害の因子を個人因子と環境因子の2面で捉えています。
いままでの機能分類では病気であるとか、
障害そのものや、それにより引き起こされる社会的不利などが障害であるとしていましたが、
新しく提唱されたICFでは、そういう個人的な背景もそうだが、
そのおかれている生活環境そのものも大いに障害になりうるとしたのです。
狭義に考えれば、私たちの住んでいる住宅そのもののなかにも障害があり、
例えば段差がもたらす高齢者や障害者への不自由は十分障害であるとしたのです。
例え同じ病気を抱えていたとしても、その人の背景は様々です。
同じリハビリ、同じ薬でも同じような生活を実現することは不可能であり、
また、その患者さんのおかれた環境に目を向けないで居ると、
良かれと思ってした処方がむしろ逆効果である場合もあるのです。
前に書いた手摺と杖などがその例でしょう。
こうした話は恋愛談義にするとわかりやすいかもしれません。
遠距離恋愛は成就しにくいと言われます。
私は二人が努力すればそんなことはないだろうと思っていましたが、
二人の置かれた環境の違いは想像を超えた壁を作ります。
たとえ二人の意識が変わらなくても、環境因子がもたらす障害はとても大きい。
環境の違いはお互いを見つめなおす時間をもたらしますが、
それは同時に今まで鬱積してきた感情をも引っ張り出すようです。
やがて些細な傷を広げていったり、こころに空洞を開けてしまいます。
遠距離が故に相手の置かれた状況が見えてこない。
今までどおり、それで問題はないだろうと思っていると、
環境の違った相手はあたらな仕事や環境に悩みを抱えている。
助けて欲しい、相談に乗って欲しいのに今までどおりに対応してしまう。
環境が変わるということがどういうことか離れている者にはどうしてもわからない。
恋人に埋めてもらえず、ぽっかりと空いたこころの穴は
やがてそういう苦しんでいる状況が見えているやさしい男が埋めてくれます。
恋人交代の時期がやってくるのです。
そうならないためには、積極的に接点を求めなければなりません。
遠くにいて想像し、なんで恋人が変わってしまったのだろうと苦悩するよりも
なんとか都合をつけて彼女に会いに行かなければならない。
電話やチャットが有効なのはお互いの状況が見えているときだけだと気が付かなければならない。
彼女の顔色、鼓動、息遣い、そういう細かなサインは近くに居るものだけがわかるのです。
逢いに行かなきゃ。
取り返しが付かなくなる前に。
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