第238回
同じ過ちを繰り返したくない
アドラーは人を分割できないといったけど、今、本当に実感できます。
相手を理解しようと思うあまり、相手の感情を因数分解して深層心理を探ろうとしますが、
分析というひとつの手法であることは認めるけど、結局その人は分割できません。
相手はそういう人格を持った一個の自我である訳だし、自分だって同じです。
お互い利益の一致をみるときもあるけど、一致しないときもあるのが当たり前なのです。
良い所も悪い所もあるのが人間なのですが、
どうも人生という時間軸の中で、
良いところだけが見えている時期と、悪いところが気になる時期に分かれてしまうようです。
良いところが見えているときは多少お互いの関係の力学がずれていてもさほど気になりませんが、
悪いところが見え始めると、そのずれている力学が大きな問題になってきます。
力学とはお互いを思い遣る感情の深さや表現の仕方です。
そんな時に出会いと別れという人生の岐路が訪れるのでしょう。
理想的なのはお互いが横並びで同じ方向を見ながら歩くことですが、
大抵はどちらかが早く歩いてしまったり、ついていけなくなるものです。
そんなときに早く歩いているほうが、相手をせかしたり、
遅れているほうはついていけなくて、その自己嫌悪から自分を閉ざしてしまうのです。
「大丈夫?」と声を掛けてあげ、ちゃんと待っていてあげる気持ち
「少し待ってよ。」と自分の気持ちをきちんと伝えること
そうしたコミュニケーションが出来ないと、つい悪いところを見つけ出して
自分の正当化を図ったりするのです。
人間は弱いから、そうすることでバランスの崩れた自分の感情の均衡を図るのです。
つい、他にそのバランスの均衡を図るよりどころを見出したくなります。
満ちた状態で、新たな出会いを求めるのは悪いことではないけど、
そうした心の隙間を埋めるために、新たな出会いを求めてしまうのはどうだろう。
最後の極限状態ではたしかに心の救いになってくれるけど、
お互いの問題を解決しないで、他に救いを求めているだけだから、
また新たな関係をゼロから構築しなければならない。
今の状況をリセットできても、それが良かったのかどうかはまたしばらく時間が延びただけ。
それを否定する気は無いけど、今までの積み重ねた関係を捨てる前に
もう一度振り返る気持ちが欲しい。
実際は余裕がなくなっているから難しいのですがね。
重要なのは人を分割しないことだと思いました。
良いところも悪い所もしっかり認めてあげます。
自分だって随分悪い所もあるのです。
でも、悪いところを直すことが出来るのが人間です。
そこでコミュニケーションを捨ててしまわないで、
きちんと行うことが出来たら、より強い関係を作ることが出来るでしょう。
そしてそういうコミュニケーションがきちんと行える環境を作ることは
お互いの相手への思いやり以外になさそうです。
遅ればせながら、そういうことがやっと自分の身体に染み渡りました。
今まで、随分排他的だったと思うし、
もう、同じ過ちを繰り返したくないと思います。
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