第78回
時代の証人
先日、村上を訪れた際、いろいろな雛人形を見せてもらい、あることに気がついた。
江戸時代中期に造られた雛人形は男雛が向かって右側、女雛は左側に座っているが、
後期以降の雛人形はその位置が左右逆になっているのだ。
雛人形は天皇を祭った人形であることは誰もが知っていることだが、
その天皇の座る位置が時代とともに変化した証が雛人形から見れるのが面白い。
「彼の右に出るものは居ない」という会話は日常使うが、
右側は左右の中でも上位であるとされた歴史がある。
右大臣、左大臣では右大臣のほうが格上である。
だから、天皇も向かって右側に座ったのだという説。
当時は懐刀をしていたので、刀を抜く際、
妻を傷つけないように、妻の左(向かって右)に座ったのだという説。
いろいろである。
江戸も末期になると鎖国を解き、外国人が入ってくる。
その際、天皇も外国の流儀に則り、男性が向かって左になったらしい。
これが現代に続く、雛人形の配置ということだ。
また、村上の雛人形には土人形が多いのも特徴である。
土人形にも趣を感じるが、これもまた歴史の証人である。
村上の城主はいろいろなところからやってきたが、
城主が代わるたびに、さまざまな職人を連れてきたそうだ。
街を造るためには建材が必要である。
瓦を葺くためには、瓦職人が必要だ。
そうした職人たちが片手間に作ったのが土人形だった。
土人形は近代まで作られていたが、セルローズの人形の前に姿を消した。
壊れやすい土人形は蔵の奥にしまいこまれ、
それが結果的に今、保存状態もよく私たちの目を楽しませてくれるのだ。
自分の家のお人形様の由来を語るお年寄りの目は生き生きしていた。
経済優先主義の社会では、リタイヤすると社会の居場所がなくなってしまう。
しかし、人間の役目は経済活動だけではないだろう。
記憶を伝えることも重要な役目だ。
お人形様めぐりというイベントを通し、
街の記憶を伝えるという役割を認識したお年寄りの目の輝きを見逃してはいけない。
岩船地区の野澤代表と瀬波温泉に浸かりながら、こんな話で盛り上がりました。
ネットワークの地区行脚もなかなか面白いものです。
今回は地区のHPを立ち上げるお手伝いでした。
地区のHPではこんな情報もどんどん流して欲しいと思います。
福祉住環境整備は街の記憶を継続させる作業でもあります。
住民がちいきにかかわりを持つためのきっかけになるHPが出来たら素敵です。
今後、地区のHPは地区による自主運営を目指しますが、
個性的で楽しいHPが立ち上がってくれることを期待していますよ。
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