第4回
超えたいけれども超えられない
人には誰しも尊敬している人が居ると思います。
自分もそんな風になりたいと思います。
尊敬する人は師でありライバルです。
いつかは師を超えてみたいと想い、日々努力を重ねることは重要なことです。
私にも沢山の師と思う人がいます。
私もいつかは彼らを越えてみたいと想います。
しかし、現在形で超えたいと思ったことはありません。
私ならもし彼らと同じ歳になったときに
自分はどうだろうかと考えることにしています。
現在の自分を師と比べることはあまり意味がありません。
どんなに自分が努力しても、彼らも同じ時間を持っているからです。
人はいろいろな時間のすごし方をしますが、
時間を逆行することは不可能だし、その場に留まっていることも困難です。
だから、同じ時間を過ごしていて、
すでに先を歩いている人を超えるのはとても大変なことです。
はるかに先を行く人は越えられないことを納得します。
でも、わずか先を行く人を超えられないのは悔しい。
しかも年も近いとなると先を歩かれていることも否定したくなる。
もし、年が少しでも違うのなら、現状の自分と相手を比較しないことです。
自分が彼の歳になったとき、その歳の彼と比べたら良いのです。
師やライバルは永遠なのです。
だからそれを認識して、いろいろなことを教えてもらいましょう。
現状を比較するよりも、
彼らの歳になったときの自分を考えたほうが現実的です。
私は専門学校で、建築を目指す若い人たちを教えています。
もしかしたら、彼らも私をライバルに思ってくれる人がいるかもしれません。
私が学生たちに言うのは、彼らのほうがスタートが早いということです。
私の建築の道はずいぶん遅咲きでした。
だから、高校を卒業して建築を目指す彼らのほうがよほど好条件です。
まじめに日々努力を重ねれば、私をはるかに超える建築家になるでしょう。
もちろん現状で彼らに超えられることを容認する気はありません。
でも、自分の歳と同じくらいになった彼らが
私を超えることはとてもうれしいことです。
そして、そのときの自分はやはり彼らのライバルでありたいと思います。
そのために日々生きたいと思います。
自分が努力しているのと同じくらい
他の人だって努力しているのだということくらいは理解して日々を過ごしたいと思います。
師もライバルも
超えたいけど超えられないから
師であり、ライバルなのです。
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