第36回
街に住むということ
最近、三条でもドーナッツ化が進み、
街の中心部から郊外への流出する人が多い。
O邸も昔は鍛冶屋街で、
三条の産業の中心地であったが、
工業団地の造成や国道沿いの大型店の進出で、
街の中心地としての機能は形骸化しつつある。
都市計画の名の基に、職と住を分離した結果、
自動車を中心とした生活になり、
住そのものも郊外に移ってしまった為だ。
郊外での生活者が増えると、
駐車場を持たない市内の商店街は集客力が弱まり、
一層、郊外への指向が強まるという悪循環である。
しかし、自動車を自ら運転出来ない人にとって、
こういった現象はどうなのだろう。
大抵、家を建てようと考える人は、
人生の中で一番脂ののっている時期の人である。
元気な人は実際のところ、
何処に住んでも大した事ではないが、お年寄りがいる場合は深刻である。
彼等が郊外へ移り住むと自らの活動範囲が極度に狭められてしまう。
健常者としての日常の生活を奪うことは、
高齢者の痴呆性を進めることになる。
街が街として機能するには、職・住の融合が必須である。
寝るだけの街、働くだけの街、買い物だけの街と
分離する事は決して街づくりにはならないだろう。
O邸は最近珍しい大家族だ。
施主は小路の入り込んだこの街を愛している。
小路は自動車の進入を拒み、
子供達の遊び場になったり、お年寄りの散歩道になる。
大通りに出れば商店街があり、日常品は全て手に入る。
先日は仲間を集めて、ウッドデッキを造った。
今度は薫製づくりに挑戦するという。
羨ましいくらいに街の生活を楽しんでいる。
この文章は5年ほど前に小路沿いの家を設計させていただいたときに
書いたものです。
あなたは街に住むということをどう考えますか?
|