第35回
公共交通−小路
私が住んでいる新潟県三条市は
名前のついている小路が100以上あります。
小路ですから、自動車は通れないか、
通れても相当な技術が必要でしょう。
三条市はもともと鍛冶屋の街です。
家内制手工業がほとんどで、住宅と工場が一体でした。
そうした混沌とした街は小路で有機的に結ばれていたのです。
当時の主要な交通は船でした。
物資は船で運ばれ、五十嵐川と信濃川が交わる三条は
交通の要所だった訳です。
川から上げられた物資は大通りといった主要道路で市街に運ばれますが、
その主要道路を交差するように小路が設けられています。
小路は土手を上り五十嵐川につながり、生活水を供給していました。
こうして生活に密着していた小路には親しみをもって名前が付けられたのです。
時代が変わり、都市計画は街の機能を集約化しました。
工場は工業地帯に集められましたが、公共交通機関は置き去りです。
労働者は自家用車で働きに行くしかなく、
小路沿いに住んでいることは不便極まりない状況です。
そこで、若い人は郊外の住宅地に住まいを求めました。
自動車が中心の生活では中心市街地も不便な場所になるのです。
住み手が居ない中心市街地は潜在的な客層を失い、
それを呼び戻そうと道路を拡幅したり、駐車場をつくったりしましたが、
新たに作られていく郊外型大規模店には太刀打ちできませんでした。
こういう中心市街地の衰退はおそらく日本国中で行われてきたでしょう。
私はある住宅を設計する機会を得て、大きくその過ちに気がつきました。
小路は車の通らない安全な道です。
小路は街のコミュニケーションの場でもあります。
そして少し歩くだけで雁木のある商店街にすぐ出ることができます。
街に住むということを今一度考え直す時期かもしれません。
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