第304回
何回、読み返しましたか?
このコラムに何回か登場している私の愛読書「森の生活」は今何代目の本でしょう?
人に貸して戻ってこなくなったり、どこかに忘れたりして、
そのたびに買い足しているので、今までに何冊買ったか憶えていません。
どうしてそんなに買うかというと、
何時読み返しても、新たな発見と感動があるからです。
新聞のように一回読んで情報を得るものもあれば、
何回も読み直し、自分の頭とこころで咀嚼する文章もあります。
手紙なんかもそうでしょう。
1回読んだだけでは、表面しか理解できなくても
何回も読み直すと、その裏に隠されたメッセージやサインが見えてきたりします。
どんな気持ちでこの文章を書いていたのだろう?
その時の書いている人のこころを読みたいとは思いませんか?
文章は適当に書けるものではありません。
なにかを伝えたいという気持ちを込めて誰しも打ち込むのではないでしょうか?
その真意を知るには何回も読み直す必要があると思います。
筆者はたぶん、その文章を何回も推敲して作り上げているでしょう。
そのこころに近づくにはやはり同じくらい読まなければならないでしょう。
そう考えると、私のコラムはすこし軽いかな?
あんまり推敲することなく、思ったままをただ書き付けているだけのような気がします。
それでもやはり1回で書き終えることはなく、
何回かは自分の書いた文章を読み直しているし、
過去のコラムも読み返しています。
このコラムを読んでくれている人はどうなんだろう?
私の文章は読み返すに足りるものなのか?
ちょっと怖いけど、興味があります。
分からないけど、たぶん、過去のコラムから順番に読んでいくと、
1回で完結しているコラムも、案外私の心の移ろいが出ているのかもしれません。
私の文章は何回くらい読み返すと、私のこころが見えてくるのだろう?
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