第233回
期待することを諦めた訳じゃない
この一連のコラムは何人かの方からご意見を頂くことが出来ました。
「もう人に期待をすることをやめるのですか?」
「今までみたいに人を煽るくらいのほうが良いのではないか?」
「強引なのが個性なんだから、別に自分の気持ちを殺す必要はないでしょう。」
という内容が多かったです。
わがままキャラで長いこと生きてきたので、
あまり理解を示すと興味がなくなったように写るらしい。(笑)
本当に今まで許されて生きてきたのだなと実感します。
多分、私自身の強引さはあまり変わらないのだと思います。
戦うべきところは戦うだろうし、これからも突っ走り続ける。
ただ、周りを支配するのではなく、影響を与える人間になりたいと考えました。
自分がいろいろなことを実践することや考え方を伝える方法を見直したのです。
ネットワークでは今までどおり、問題提起や情報提供を怒涛のようにやっていきます。
でも、そうした問題は、実は自分の中では結論が出ていることが多いので、
つい無意識のうちに自分の出した結論に議論が導かれるように働きかけてしまいます。
何事にも功罪はあるわけで、
ネットワークや人が暗中模索のときは、ある程度のカリスマ性を求めます。
そんなときは文句をいう暇も無く、ついてきてくれますが、
ある程度、組織や自己が出来上がってくると、
そうした強い個性がうるさいものに感じてくるのでしょう。
それを分からないで突っ走ると、周りの反感を買ったりしてしまうわけです。
私自身、気持ちの上では自分が育てたのにみたいな気概があったりして、
それがネットワークや個の成長の足を引っ張っていることに気が付かない。
まあ、それに気が付いたということです。
組織や自己が出来始めたら、もう私の手の中にはありません。
私は既に強烈なカリスマではなく、ひとつの個なのです。
私自身は何も変わらないのですが、私の周りが変わっていきます。
私と周りの人とは対等ですから、私自身があるように、いろいろな自己があるわけです。
それをきちんと認めるし、そうした自己の集まりである組織ですから、
その方向性はどうなるにせよ、全体の総意で決めていったら良いでしょう。
これは投げやりになったり、期待することをやめたということではなく、
むしろ、今以上に期待しているのを判って欲しいと思います。
私が支配しなくても、私の考え方が周りとベクトルの一致を見ることが出来たら、
それがもっとも理想だからです。
自然に、自発的に、周りが私の考えに参加してくれたらうれしいと思います。
そのために、周りを抑制することはしません。
私の考え方はいろいろなところで発表していますし、
私に会いたいと思ってくれたら、自分で時間を都合をつけて、自分の足で歩いてきて欲しい。
私はそれをいつも気持ちの中で欲していますし、受け止める準備は出来ています。
私自身は周りがそんな気持ちになるような人間になりたいと考えたのです。
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