第231回
トラウマ
言葉を選ぶというのは人との付き合いの仲で重要です。
思わぬ言葉が相手を傷つけることがありますし、あらぬ誤解を受けたりします。
一方、言葉を選びながら会話するというのは苦痛です。
それは相手に許される許容に収まっていないということだからです。
私の発言はどうも支配的らしく、目的の一致を得ているときは受け入れられますが、
共同体感覚が崩れ始めると、急速に排他されてしまうようです。
私は他が思うほど心臓が強くないのです。
ただ、動かないと開かれないというのが心情で、それを実践しているに過ぎません。
動かないで動向を容認する心の広さが無いといったほうが良いのかもしれません。
だから、進むものは進めて、壊れるものは壊してしまえという行動に出るらしい。
他の人はそう感じるようですが、実はその間でもがいているのが本音です。
別に自分が常に正しいなんて高飛車な考えをしている訳ではありません。
だから相手を理解しようと努めます。
でも、その方法がよろしくないようで、思わず論理立ててしまうのです。
自分としてはなるべく正確に判断したいということなのですが、
排他されている状況でのそうした行為は、むしろ関係を悪化します。
そこでつい言葉を選んでしまうようになります。
その時は既に遅しで、だんだん会話が苦痛になり、やがて離れていく。
そこまで解析できていたら、なんとか学習すれば良いのですが、それがうまくいかない。
今回ハマッた心理学の本は随分自分自身を見つめるきっかけになりました。
やはり自分のやってきたことは目的のすり替えと支配でした。
自分の人間としての器の小ささが実感できました。
振り返り学習は必要ですね。
今でも壊れてしまうのは仕方が無いし、取繕うのではなく、再生を願います。
筋肉よろしく精神も強くしていかなければならないと思います。
問題はその手法です。
きちんと援助が行われなければ、良い共同体感覚は生まれません。
そのためには言葉をきちんと選ぶということを日ごろからトレーニングする必要があるのです。
努力無しでは人間関係は作れないという当たり前のことです。
言葉を選ぶようになったら終わりというのは私のトラウマです。
はやくこんなトラウマから脱却したいと願います。
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