第218回
ノーマライゼーションは等生化?
国立国語研究所では、
国内で一般的に使われている外来語を日本語に置き換える作業を進めています。
自分を他人とは違うと考える明確な意識を指す「アイデンティティー」は
「自己認識」といった具合です。
そして「ノーマライゼーション」は等しく生活できるようにするという趣旨で
「等生化」なのだそうです。
しかしどうなんでしょう?
分かりやすいですか?
私にはむしろ分かりにくいと思えるのですがね。
大体、もともと日本語に当てはまる言葉がなかった外来語なんだから、
むりに漢字を当てなくても、そのまま使っても良い様な気がしませんか?
本来、有権者に正しく伝わるように発言しなければいけないのに、
最近の国会議員の先生方は自分のボキャブラリー(語彙)の多さを誇るように、
得意満面で英単語を発言に挟み込むものだから、
それに対する批判が集まり、日本語で話せということになってしまうのでしょう。
でも、だからといって無理やり日本語をつくりというのもどうなんだろう?
新しく作った日本語を覚えるのと同じくらいの労力で外来語を正しく理解したほうが、
グローバリズム(国際化)が叫ばれている今日には適しているように思えるのは私だけでしょうか?
重要なのは言葉を相手に伝えようという気持ちで選んでいるかどうかという姿勢の問題です。
政治家の使い方は、分からなそうな言葉で煙に巻いているから問題なのです。
漢字を当てたから理解できるという次元のものではないでしょう。
どうせ、外来語も覚えなければなりませんし、この上、日本語の造語を覚えるなんて
二度手間もいいところです。
そんなことを強請される前に、新しい言葉を正しく理解できるように努めましょう。
分からない言葉はその段階ですぐ調べるべきです。
ここをいい加減にすると、お互いの言葉の定義付けが食い違い、
無駄な話をしなければならなくなるのです。
言葉なんていずれにせよ、どんどん増加していくものです。
インセンティブは「意欲刺激」
セーフティーネットは「安全網」
指針が決まれば、マスコミの報道はこの新しい日本語を使うことになるでしょう。
ますます、理解しにくくなるとは思わないのでしょうか?
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