第180回
ライ麦畑でつかまえて
昨日は十何年ぶりに軽井沢町立図書館へ行ってきました。
別に軽井沢に目的はありませんでしたから、
のんびりと半日を図書館ですごしました。
離山のふもとの木立の中にたたずむ図書館は人もまばらで、
別荘に来ている人や地元の人が、新聞や雑誌を読んでいました。
外は朝からの雨です。
私もまずは新聞を読んで、後は面白そうな本を物色します。
さて、新刊本のコーナーに村上春樹の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が置いてありました。
サリンジャーの代表作「ライ麦畑でつかまえて」を村上春樹が翻訳したものです。
「ライ麦畑でつかまえて」は日本では野崎孝が翻訳を手がけていますが、
今回のは、村上春樹流にリメイクした、全く新しいものという感じです。
もちろん原作を読めるほど英語に堪能ではないので、
野崎訳が彼の色に染まっていたかどうかは判りませんが、
おそらくこちらのほうが原作には忠実だと思われます。
私がこの本に出会ったのもやはり高校生になりたての頃だったと思います。
「クレージーな主人公」ホールデンの大人になりかけの苦悩を描いた作品です。
50年代から60年代がこの物語の舞台で、
この時代は不良がずいぶんカッコ良かった時代です。
ここに描かれる主人公も自分のことを不良に見せたいという言動に満ち溢れています。
この本を読んだときの私の感覚も共鳴する部分が多く、
大人への反抗をよりいっそう強めていったのかもしれません。
今回、この村上春樹の手がけた新訳をぱらぱらとめくり感じたのは
ホールデンの口調の変化でした。
自分自身をも傷つけるような、暴力的な口調は一転し、
自意識過剰だけど何にも出来ない現代風の若者に変化しています。
言ってしまえば、反体制から、最近コンビニの前でたむろしていそうな若者でしょうか。
安藤忠雄の言葉を借りたら「絶望的な人」です。
40年という時を経て、原作の解釈も、訳者によって随分変わるものだと思いました。
これはこれで面白いですね。
実際、村上訳のほうが読みやすいように思えます。
私自身が、すでにそういった年代をはるかに過ぎてしまい、冷静に読めるせいかもしれません。
また、村上春樹の文体が読みやすいのかもしれません。
若者はこの本だけでいいかな?
でもかつて若者だった人は野崎訳と村上訳を読み比べると面白いですよ。
時間があったら一度読んでみる価値はあるかもしれません。
私のランキングの中では図書館で借りて読む本というぐらいでしょうか?
文庫本になったら本棚に並べても良いかな。
いずれにせよ原作であるサリンジャー文学というのが時代を超越した
青春文学であるということを16年ぶりに確認することが出来た訳です。
外は知らない間に雨が上がり、梅雨明けのような青空が広がっていました。
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