会長のつぶやき
僕の独り言につき合って

第11回

役割は時代とともに変化する


先日、時間つぶしに図書館に行ってきました。
たまたま手にした本が「潜水艦の構造」というものでした。
ちょうどハリソンフォード主演の潜水艦の映画をやっているので
目に付いたのかもしれません。
読んでいるとこれが結構面白いのでご紹介しましょう。

潜水艦が登場したのは第2次世界大戦です。
当時はドイツのUボートがイギリスの物資運搬船を攻撃して
ずいぶん恐れられていたそうです。
Uボートは潜水航行中、バッテリーで動きますが、
バッテリーを充電するために、最低1日4時間は浮上して、
ディーゼルエンジンで航行する必要があったそうです。
潜水艦がもっとも危険な状態になるのは浮上したときです。
だから、海上航行中は常に4人が見張りに立っていたそうです。

潜水艦においてもっとも重要なものは魚雷でした。
魚雷がなければ攻撃できませんから。
魚雷を満載しているときは船員にベッドスペースはなく
その上で寝ていたそうです。
次に重要なのは艦長です。
そして魚雷と艦長以外は並列です。
艦長だけが、潜望鏡を覗くことが許され、艦内全ての決定権を持ちます。
他のスタッフは艦長の手足として働くのです。
艦長の経験が船員全ての生死を握っていたわけです。
また、劣悪な環境化での航行のため、不平が出ないよう、
食事だけは艦長も他のスタッフも同じものをとったそうです。

やがて戦争が終わり、米ソ冷戦の時代に突入すると、
攻撃型の潜水艦はその役目を終えます。
冷戦時代は核による抑止力の時代でした。
この時代、潜水艦に求められたのは世界中の全てを
核爆弾の射程範囲にするということでした。
潜水艦は航行範囲を拡大するため、原子力潜水艦が開発されました。
核爆弾を装備した潜水艦は、攻撃目的ではなく、あくまでも抑止力でした。
電子機器の発達は潜望鏡をなくし、レーダーや大型スクリーンによる
監視を可能にします。
船員は情報の共有が可能になり、艦長のポジションも民主的になりました。

ソビエト崩壊で冷戦が終わり、
また潜水艦の存在意義が見直されているそうです。

仮想敵国を失った潜水艦はどこに向かうのでしょう。
潜水艦から時代を読むことが出来るのですね。

2003年1月11日(土曜日)
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■会長 : 小林 哲也(KOBAYASHI TETSUYA)
1961年新潟県三条市生まれ。1級建築士事務所 FORUM主宰
建築士会で1999年 福祉住環境コーディネーター検定対策講座を開催。
その際集まった仲間と「福祉住環境コーディネーターネットワーク」を結成する。
ちいき住宅工房主宰

■講演
2002年 
12月  福祉用具住宅改修講習会(新潟ユニゾンプラザ:新潟県社会福祉協議会)
11月  十日町住宅改修講習会(十日町地場産業振興センター:十日町市)
7月  介護保険 住宅改修研修会(三条総合福祉センター:三条市)
4月  加茂商工会議所研修会(加茂商工会議所:加茂商工会議所青年委員会)
3月  住宅改修セミナー(西川町役場 保健センター:巻保健所)
     福祉用具住宅改修講習会(新潟ユニゾンプラザ:新潟県社会福祉協議会)
2月  福祉住環境セミナー(新宿:建築情報社)
     福祉用具住宅改修講習会(新潟ユニゾンプラザ:新潟県社会福祉協議会)
     住宅改修セミナー(新潟NOCプラザ:阿部木材株式会社)

■取材
2002年
11月   新潟日報社 ハウジング新潟2003「2000万の家」
10月   新潟日報「いつまでも我が家で-寝たきり予防へ改修」
9月   TeNY「介護豆知識-住宅改修」
8月   新潟日報「介護住宅改修事情」
4月   日経アーキテクチュア「資格に頼らず、資格を生かす」
2月   新潟日報社 ささえーる2002「住宅改修事例」
2001年
11月   新潟日報社 ハウジング新潟2002「こだわって新潟」

■リポート
2002年
12月   オランダ建築視察旅行記(PDF:ご覧になるにはアクロバットリーダーが必要です)

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