第100回
ヴォーリズの愛した街(近江八幡)
近江商人発祥の地であり、メンソレータムで有名な近江兄弟社がある近江八幡市は
アメリカ人建築家ヴォーリズが24歳で来日してから生涯を終えるまで過ごした街でもあります。
ヴォーリズは最初、英語教師として近江八幡を訪れましたが、
その後、建築設計に才能を見出し、建築事務所を開設しました。
ヴォーリズの建築は、当時のアメリカ建築の流れを周到してはいますが、
もともと建築の専門ではなかったため、
彼の感じた日本の文化が融合し、独特の世界を確立しました。
伝統的建造物保存地区でもある近江商人の白壁造りの町並みに、
自然に溶け込むようにヴォーリズの作品が残っています。
私がこの街を訪れたときはまさに桜が開花寸前でした。
小旅行の1日目、夕刻で1時間しか滞在が許されなかったのですが、
観光案内所でもらった地図を片手に、モデルコースの通り歩いてみました。
観光案内所は明治10年に八幡東高校として建築され、
現在、白雲館という名前になっている西洋建築です。
ちょうど新潟市にある県政記念館のような、左右対称の美しい建物でした。
そこを背に八幡山に向かって歩くとすぐに八幡堀という水路が現れます。
八幡堀は豊臣秀次が城下町を築いたとき、
当時の交通幹線であった琵琶湖を往来する荷船を寄港させるためにつくった運河ですが、
運河沿いを歩くと時代劇に紛れ込んだような錯覚に陥ってしまいました。
運河沿いの桜は満開になるときっと見事なことでしょう。
明治橋を過ぎて左に曲がると、そこは白壁の町並みです。
古い商家が軒を連ねる風景は、八幡堀を往来する船で富を築き上げた近江商人の隆盛ぶりが伺えました。
その町並みを過ぎたところにヴォーリズの建築が現れます。
伝統的ですが、けっして華美ではなく、実用性に重きをおいた豊かなデザインに
ヴォーリズの人柄を感じることが出来ました。
その後、彼は日本人の女性と結婚し、
一柳 米来留(ひとつやなぎ めれる)として帰化します。
2〜30人の技術師を擁した設計事務所として、日本にその軌跡を残すことになるのです。
教会建築や学校建築で著名なものが多く、
有名なものとしては神戸YMCA会館や大阪協会、
関西学院大学や明治学院礼拝堂などがあります。
日本国中で活躍したヴォーリズですが、決してこの地を離れることはありませんでした。
それほど愛した近江八幡ですが、あまり駆け足すぎてこの街の生活が見えなかったのは残念でした。
観光都市としては栄えているのでしょう。
ヴォーリズが愛した時代、活気のある商人の町、近江八幡が覗けたら面白いでしょうね。
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